上海でできること。

3月11日14:31。弟からの緊急メールで地震に気づいた。
それからは岩手県盛岡市の祖母の安否の確認に奔走。
緊急事態なので外国から日本への電話はつながらず、
ネットだけが唯一の頼り。
刻一刻と変わる情報に、現地にいない自分さえめまいを憶える時間だった。

原子炉の問題はそのまま、
福島県小名浜に住む友人の命の問題そのままであり
有事の際は東京に住む家族の死活問題でもある。

中国では自国の雲南省地震があったにもかかわらず、
昼夜問わず特番が放送され続けている。



とはいえ、一歩外に出れば、普通の人々の生活の営みが以前と同じ様に繰り広げられている。
私の中で止まない焦りと不安、恐怖、困惑、絶望


私の捉えているこの今の世界と
外の人達の捉えている世界の違い。
当たり前の事だけど。
こうやって今までも世界は成り立って来たんだろう。

私が幸せなとき、見知らぬ誰か生き地獄を味わい
私が不幸なとき、誰かは幸福の絶頂だったろう。


そういうものだ。とはわかりつつも
なかなか気持ちが治まらず
仕事がほとんど手に着かなかった。


でも今日、やっと思い立った。


上海でできること。
それはつまり、元気でいることだ。

岩手の祖母は心配だし、
福島の友達も、その家族も心配。
東京の弟、家族、友達、無事でいてほしいと思う。
その他の人、日本全部、これ以上悪くなってほしくない。
これは変わらない。

今後の事を考えるとめまいがする。

でも、こういうときこそ
無事な人程、ちゃんと元気でいることが
できる最大限のことだと思った。


このことは父や母が大変だったとき、行方不明になったとき、死んだとき
嫌になるほど思い知ったはずだったのに。



でももうやれることをやるしかない。
ちゃんと飯食って風呂入って金稼いで眠る。
あたしはだいじょうぶだって
地震をおこした何かにみせつけてやる。


何に対してではないけども
私も戦う気持ちでいようと思う。